307pick

陣中詞華(戦中小説・詩歌)

地雷原
北支派遣軍陸軍軍曹 小島忠明

生憎、月が出ていない。昼間でさえ今どこを行軍しているか全くわからない奥地にあった。鼻をつままれたような暗さだ。前の兵隊の背嚢についた飯盒がやや薄白く光る。
総攻撃の命を受け、右縦隊になった隊は、暁を目指して蜿蜒(えんえん)と一列に夜の道に延びて進んでゆく。声を殺して足音を忍ばして進む。唯一筋に長く続いている。兵隊は目ばかりギラギラさせて前方を睨んでいるが、1メートル離れると、もうわからなくなる。あわてて大体の標準をつけて進んでゆくと、ばたんと前の兵隊の背嚢にぶつける。おまけに睡魔も襲ってくる。

標高200メートル・・・・こんな山なら上野の山か飛鳥山くらいだろうと高をくくってかかるとひどい目に遭う。登りはよいとしても下りは七転び八起きである。
岩に蹴つまづいて滑ったり、打ったりする。一歩いっぽ、文字通り石橋を叩いて渡る式なんだが容赦なくずるずると滑る。月も出ていない。俗に第六巻という奴で進んでゆくと、突然、私の前後で滑った者がある。銃剣のふれ合う音ががちゃがちゃとやかましく響く。そのまま2、3歩ゆくと直前の兵隊が滑った。
「また滑ったな。危ないから注意しろ!」
私は、そう言って歩き出したら、いきなり雑草に足を取られて勢いよく転んだ。つま先がじーんと痛む。おかしくなって我ながら思わず苦笑した。まったく兵隊に少しの緊張心も欠くことは許されない。慣れたというものの背嚢が肩に食い込んでくる。また滑る。2、3人前でまた滑る。3歩進んでは転び、2、3歩ゆくとまた滑る。

突然だった。
鼓膜を破るような大きな音がした。同時に花火のように、ぱっと明るくなる。むっと硝煙が立ちこめる。鼻を衝く。兵隊の目と神経が一様にそこに集中する。
「誰だ?誰だ?」
「地雷だな!誰がやられたんだ?」
不安なざわめきが惨烈な有様を予想して起こったが、不幸中の幸いで被害は苦力のロバだった。ただ、隣にいた兵隊が右手に若干の負傷をしたが、大したことはなかった。被害はロバだけだとすぐ言い伝えられると、
(敵弾ならいざ知らず、こんなケチな地雷ではやられたくない)
と誰もが考えた。けれど、滅びゆく中共が卑怯にも選んだ最後の地雷戦術である。ネズミ取りとほぼ同様の理屈で地下に埋めておく。昼間でさえほとんどわからないように入念に埋設してある。まして夜間、てんで見当がつかない。ここに南方戦線と異なった地味な北支の戦争の形態がある。

隊は部落を包囲して夜を徹す。音一つしない不気味な静寂の中に刻々と東の空が白んでくる。低いが底力のある大量の号令一下、日の丸を胸に巻き付けて部落に突入する。早くもこれに気がついて遁走を企てる敵数十名、の退路に巧みに迫る隊の追撃は急になる。パンパンと狙い撃ちだ。規則正しい軽機の音が、朝の山野に小気味よくこだまする。部落内に壮絶な怒声が沸く。突撃だ。銃剣が朝日にきらめく。男子の本懐これに過ぎるものはない。撃つべし!
中共を撃つ銃声だ。急にこれまでの七転八倒した山路の苦労も、地雷の炸裂した時の口惜しさも氷解してしまう。

やがて隊は周辺の掃討にかかる。朝飯は済んでいない。陽はすっかり昇ってしまった。私はふと、その右端の部落の壁に
『東洋平和の美名の下に平和を乱す者は誰か?』
という日本文字で書いた敵側の宣伝文を見た。敵の宣伝は微に入り細を穿っている。人情の弱点をつかむのも上手だ。その時、私はある日の行軍中
『母は呼ぶ!還らぬ君を』
と書いてあったのを想い出した。それと同時に
“君が為 何か惜しまん 若桜
散って甲斐ある 生命なりせば”
という軍神の歌を連想した。すると日本軍人の誇りを新しく強く感じた。

入口に『抗日到底』と書いてある部落を掃討中、私は意外なものを見つけた。鮮やかなメイド・イン・ジャパンの刻印のある鉛筆と、おなじみのライオン歯磨きである。意外な所で珍しいものを見つけた感動で、私はそれを部下に見せながら、自分もしみじみと見つめていた。敵地区のどこの部落にも『抗日到底』とは書いてある。安っぽい謄写版の抗日教科書の巻頭にも書いてあった。その彼らがなぜ日本製を使うのか?・・・・彼らは日本製の優秀なことを彼ら自身認めているのだ。だから堂々と使用するのだ。抗日は口先だけであって、日本の下に東洋平和の来ることも知っているのではないか。それは東洋平和の美名に隠れて平和を乱す者に迷わされているからだと思う。平和を乱す者、それが洋鬼(ヤンキー)米英である。海賊とギャングである。
この日の捕虜は10数名あったが、その中の一人が、お座興に支那語で『銃後の日本大丈夫』を歌ったことでも自信を強めた。この捕虜は25くらいで白い、インテリ臭い顔つきだった。北京で音楽を習って音楽家志望だったが、無理矢理に八路兵にさせられたと白状したことから、兵隊が何か歌ってみろと言ったのがきっかけだった。『青空』から『愛国行進曲』に移り、終わりに『銃後の日本大丈夫』を鮮やかに歌ったのである。我々には、この捕虜の心理については到底わからないことが多い。捕虜になってニコニコ笑い、柿を喰い、生芋を齧る彼らの有様は滅びゆく中共の姿そのままである。

折柄、誰かが宮田一等兵が遁走した敵を追撃中、地雷で右足を負傷したと伝えてきた。急に私の血が激しく波打つのを覚えた。思わず銃を握りしめた。
「貴様らが・・・貴様らの仲間が埋めた地雷で宮田がやられたんだ」
私は、そうつぶやくと帰ってきた戦友たちの中から宮田一等兵の姿を求めた。宮田一等兵は担架に収容されて運ばれてきたが、案外元気だった。
(口惜しかったろう・・・敵弾ならともかく、地雷とはくらしかったろう・・・・・)
熱いものがこみ上げてくるのをぐっとこらえると、
「大丈夫か、しっかりしろよ」
といった。
「大丈夫だ。大丈夫だ」
と宮田一等兵はニコニコ笑っていたが包帯は紅く染まっていた。
朝飯を済ませた隊は、次の作戦地に向かって息つく間もなく軍靴の響き高らかに、地雷原を踏み越えて出発した。

今日も北支の山奥に寒風を衝いて粛正討伐は続いている。国民諸君のすべてが、12月6日の大本営発表の大戦果の陰に、右足を捧げ、右手を捧げ、あるいは両眼を捧げた犠牲者のあることを銘記してほしい。

 

戦場の畠
前線基地 足立利六

部隊に命令が下つた
その日も食後の一刻
勤務と空襲の暇を見て
裏の畠に
分隊長以下汗を流してゐた

ジャングルを拓き
椰子をたふして
種を下ろした

あの日から二た月
新らしい国土に
若々しい壌土に
茄子が、瓜が、菜つぱが
すくすくと芽生え息吹き育くんで
緑の葉は畠を埋め
こんなに若々しい実を結んだ
一面の畠に
夕日の映える美しさよ

ドラム缶で作つた
鎌で草を刈り
その鍬で土を返したあの頃

爆弾に掘れた穴を埋め
スコールにたたかれたものを起し
椰子の実の柄杓で肥をやつた
二た月の辛苦がまざまざと浮かんでくる

一週間程前小さな花が収つて
一番成りの茄子が実つた
可愛い実を見つめていると
思ひつめてきた
食欲は消えて
よく育つて呉れたと
愛撫したい気持でいつぱいだつた

椰子の家をたたんで
明日は転進するのだ
皆んな畠にじつと立つて
自分達の畠を見つめた

後にこの辺に来る何処かの戦友が
俺達の畠を可愛がつてくれるだらう
茄子よ、瓜よ、菜つぱよ
さやうならーーー

第307号 昭和19年2月2日

目次

  • 時の立札
  • 必勝に驀進する 第84回帝国議会(写真付き)
  • 守り抜かん南の基地(写真記事)
  • 鉄壁 北辺の鎮護(写真短信)
  • 大東亜戦争日誌 12/8-12/28
  • 陣中詞華(小説・詩・短歌)
  • 電力を軍需に回せ(イラスト記事)
  • 藁工品も兵器だ(写真記事)
  • 藁工品も増産だ – 静岡県磐田郡久努村(写真短信)
  • 共栄圏だより(写真短信)
  • 照準器(イラスト・マンガ)
  • 広告「弾丸切手」

表紙

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【抗日デジャヴ】繰り返しているのは彼らなのか?私たちなのか?【戦中文芸】

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