160pick

国民学校問答[中]

たのしく学べるカズノホン

溶け合った修身と国語

問:
今度の教科で国民科の修身と国語がどういう風に融け合っているかその実例をひとつ・・・・

井上:
修身と国語は国民的自覚信念を培うという点では一体で、しかも修身は人の踏むべき道の表側、国語は感情情緒を培う心の裏側となる。

例えば『日曜日の朝』という子供の生活の文章が国語の中に出ている。それは興亜奉公日の朝ですが、親子総動員で働いて、ご飯が済んでから戦地の兵隊さんに慰問分を書いた。その慰問文はすぐに修身に入ると、こういうような関係である。それからまた『天長節』というのがあって修身の方では子供が日の丸の旗を立てるところを出す、それから観兵式のところが出ている。それが国語の方では日の丸の旗を出すとともに神社を参拝する、あるいは兵隊ごっこの真似をして遊ぶというようようなものがある。しかしこれはただ修身と国語の関係ですが単に修身と手を結ぶのみでなく理数科との関係、あるいは芸能科、ことに国語の韻文というものは主として芸能科と連絡する。それから自然観察も国語の上に関連が出てくるわけです。

またそれが綴方にもっていって、題になるということになる。

例えば、今までだと国語にアヒルなり雛なりが出てくるとその時間に子供を連れて雛を見に行ったりするのですが、今度は国語の中に出てきた雛は自然観察の時間があるからその時に雛を見るということになるのです。

清水:
国民科としての国語の意義は日本語を使って日本文字を書くから日常の用事に差し支えないように字を教えるのだというような趣旨でなくして、日本人の書いた文章にはやはりそこに日本人としてのものの考え方と、日本人としての感動がありますから、その文章を読むことによって、同じ感動を受けて、そこに日本人らしい魂がだんだん呼び起こされてくる。そういうところに国民科としての国語の意義があるのじゃないかと思います。

井上:
その通りです。

問:
その国語ですが、読み方、書き方、綴り方、話し方というのはお分けになるのですか?

井上:
観念としては4つの型に分けるのですが、しかし今度は実際としては話し方というのは教則にも特に時間を設けてしろとは書いてない。むしろ時間を設けないでやれと言ってある。結局これは実際の問題であると思う。一方において読み方に即して話し方をする。子供の言語に関心を持たす読み方から話し方へゆくというような導き方と、一方に自由な話し方をさせてそれを綴り方に持っていくという行き方とあると思う。綴り方、書き方ももちろん読み方の中に含まれてしまう、つまり「ヨミカタ」に即してやる。

結局国語は渾然たる一体になるのですね。時間は多少分けますがみな連絡を取る。さらに国語の中に出てくるようなことからすぐ暗示を受けて綴り方をやらすというようなこともあるのです。

問:
従来の習字が芸能科に入りましたが、この国語の書き方とどう違うかちょっと説明を願いたいと思います。

井上:
国語の中の書き方と言うのは在来の書き方と多少意義が違うのでありまして、在来の書き方は独立して芸能科の習字になるのです。

習字を通して国民精神を鍛錬するというような修練の意味と、芸術的な美ということを見なければならぬので芸能科に入れた。書き方は国語の一部分でもっぱら書写能力を高める。あるいは文字の記憶のためにやる。あるいは本を読む一方、書いて本を理解するということが非常に理解しやすい。本来文章は書いてみると一層よくわかる。つまり書き取りといったものが今度の書き方です。

カズノホンはこうしてできた

問:
次に理数科で、算数と理科を結びつけた経緯といいますか、その必要についてのお話を

塩野:
さっきから強化を統合したとか結びつけたとかいう言葉がありましたが、その考え方は全然間違っているのです。結びつけたのじゃなくて新しく教科・科目が再編成されたというふうにお考え下さらないと具合が悪いのです。決して今までの13の科目を考えておいてそれをくくりつけたのじゃございません。

したがって理数科でも同じように数学、自然科学の初歩の算数、理科をなんとかしてくっつけようというので理数科ができあがったのでなく、前からお話があったように物事を正しく見、考え、扱う、という能力を得させ実際生活に行動となって働いていく。そうして物事の道筋を見つけて、それを弁え、それに従い、さらに新たなものを創造していく。そうして国運発展の実を挙げる。そういう修練をするのが理数科である。結局国民学校全体の皇国の道の修練というもののひとつの相を捉えたものである。すなわち皇国の道の修練という全一的なものをいろいろ違った方面から修練させていくそのひとつが理数科なのです。そういう理数科をさらに具体化し、具現していこうという時には組織を立てなくてはならない。そこに自然の理法というものを中心に置いて修練をやってもらうという面と、数・量・空間を中心に見て修練をやってもらうという組織とのふたつの組織を、理数科の構造として持たしたのが理科・算数です。もちろんはっきり分けられるものではないが、物事を正しく見、考え、扱うという時に算数的なものと、理科的なものに分けられるのではないかと、だいたいの目安をそこに置いてやっていこう、こういう観点から算数・理科が新しく設けられたのであります。それが今までの算術と理科とにある程度近寄ったものであることは確かでありますが、その根本の考え方に違いがあるという点は、強く考えておいていただかなければいかぬと思います。

それで実際の場合になりますとどんな物事に対してどんな考え方、見方、扱い方をさせるか。それを低学年から高学年に及んでどういう系統で配列したらよいかということで組織ができあがる。そこで物事に対してこれは色が赤いとか、固いとか手触りが滑らかだとか、そういう見方をすればこれは物事の属性を見る方でありますが、一方では、物の大きさはどうだろうとか、形はどうだろうとか、物がいくつあるだろうとかいう見方も考えられる。それをある程度に分けて数、量、空間的な見方をするものを算数の方に入れ、物の属性を極め、真実の姿を掴み、その中にある筋道を見出そうという方を理科の方に入れて組織を作っていくのです。だから始めのうちはこの2つの関係がはっきりしないのです。

小さい子供は物に対しては数、量、空間的にはっきりしないから始めのうちは非常に未分化的といいますかそういう見方をする。そこを捉えて低学年のごく始めはどっちつかず、というと語弊がありますが、全体的な感覚に訴えて見ていくという観察をする。それから物の考え方でも同様で、論理的に物を考えていくというようなことが発達していないのですから物に即して考えていく。そういう即物的な考え方は算数の方と理科を別にする考えはない。ものを扱うにしても同様のことが言える。

そういう点を考えてはっきり分けられるところは分け、分けられない方のはいずれか一方に、または両方に入れていく。それで算数理科ができあがるのです。一学年の始めのうちは算数はそういう意味で教科書の中にはでてこない。4月の大部分は何もなさぬが、自然の物を観察したりなどすることで、ひとりでに数を覚えたりする。それがある程度たつと今度は「カズノホン」として組織立てていく。それから自然の観察は観察として組織立てていく。その過程にどっちつかずのものがあり、共通のものがたくさんありますから、そういうものは分かれざる網の目と言いますか、そういう形でずっと張っていく。

これが理数科の大体の姿なのです。

児童はどう科学するか

問:
よくわかりました。それで理科と言いますと、今までは小学校の4年、5年に出てきたわけですが、今度は国民学校の1年生からそういう自然の観察というものをおやりになる。それをもう少し具体的に、例えばどういうことを通じてこういう科学的なことを小さい子供に教えていくか。実例からちょっとお話し願いたいと思います。

塩野:
大体自然の観察でやる主要な点は3つに分けて考えられます。もちろん分かつべからざるものを強いてのことですが、第一は、自然に親しみ、自然と共に遊び、そのうちに自然から直接に学ぶ態度を養い、自然を見る眼を養っていくのです。それは野原や林に連れていくとか、小川に連れていくとかして、その中で、例えば摘み草をしたり、菫の花相撲をしたりして、自然物を使って遊ばせていく。あるいはその野原の中で子供同士が遊ぶ、その間にひとりでに自然を見る眼が養われ、そこからいろいろなものを学んでいく。例えば菫の花相撲をやらせて、どうすれば勝てるかと工夫すれば、菫の顎の曲がったところによく注意して見る必要が自然に生じ、物を見る眼が自ずと養われる。そういう風にして遊びを通して自然を見る。その際には春の気分を味わせ、季節の感覚を養うことが大切で、つまり情操などと切り離さないで扱っていく。これが第一です。

第二は、動植物の飼育栽培をさせるということ。これは入りたての子供にはちょっと無理なようですが、できる範囲でやらせていく。そうすると生命を愛育するという精神は養われる。これは非常に大事な事柄で、将来農業などをやるにしても、天地の化育に参ずるというような心持ち、つまり生命愛育の心が基になります。それには自分の手塩にかけて飼ったり、植えたりしなければならぬ。そういうことは小さい時、つまりあまり理知的な方面が分離して発達していない頃からやる。そうすると最もよく子供が伸びていく。自分で飼ったり、自分で植えたりするのだから、それがどうなるだろうかと思って、見るなと言っても見ずにいられない。そこで動物の習性にしても植物の形体にしても、さあ見ろと言われんでもひとりでに見ざるを得ないようになってくる。これがありのままの姿を最も自然につかませる良い道だと考えております。

第三の点は、自然物を使ったりして玩具を作らせる。例えば笹舟、水鉄砲、麦笛などを作らせる。そういう遊びを通して、工夫しながら物を創造し、作り上げていくという修練ができる。物を作ることの喜び味わわせることは非常に大切で、それによって物を大切にすることも身についていきます。生産拡充、物資愛護もこういうところから考えていかなくてはならないと思います。

大体この三点を中心として教材を選び、それを季節に配当してやっていくのですが、それらの学習を通じて、子供が秩序立った生活をしていくような訓練を絶えず考えていく。それが一つの科学的な態度を身につけさせる非常に大事なことだと思うのです。例えば鳥に餌をやるにしても、勝手にやらせずに、子供にその後始末をきちんとやらせるように常に考慮してやる、そういう点が大切と思いますね

ー つづく ー

第160号 昭和16年3月19日

目次

  • 広告「理研ビタミン」
  • 東亜の共栄に結ぶ果実(写真付き)
  • 富士の裾野も掘り返せ -静岡県小島村(写真記事)
  • 空閑池も見逃すな -東京・江戸川(写真記事)
  • 泥田も美田に -高知県新居村(写真記事)
  • イタリアの拓土開発(写真短信)
  • ふやせ食糧
  • タイ仏印の紛争解決 わが外交の輝かしき成功(地図入り)
  • 歴史上から見たタイ仏印の紛争
  • 国民学校問答 楽しく学べるカズノホン[中]
  • 素人栽培のこつ これだけは知っておこう(図表入り)
  • 文部省推薦の映画と図書
  • 写真週報問答(読者質問)
  • 小広告「リレー計算尺」
  • 欧州と語らん 松岡外務大臣出発す(写真入り)
  • かつての競馬場もおいも畑に -東京目黒(写真短信)
  • 栄養を家々に配りましょう -東京・巣鴨(表・写真記事)
  • 満州の大地も呼応して(写真記事)
  • 読者のカメラ(読者投稿写真)
  • 復習室
  • 資源愛護のために
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