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非常事変下の陸軍記念日に会ひて

陸軍少将 櫻井忠温

アゝ34年、日露戦争からすでに34年という長い日が経った。当年この役に参加した勇将も多くは世を去ったであろうし、猛卒にして今日を回顧する者はたして幾人あるであろう。

ましてや西南、日清役の人というと、多くは峠の彼方へ去ったであろう。今日より思えば、日清役は44年、西南役は62年の昔であり、半世紀以前、あるいはそれに近い時代の戦争であった。

しかし、たとえ100年、200年を経てもこの3役は忘れられないものとなって国民の頭に残るであろう。

それだけ深刻であった。日露戦争の如き「勝てるいくさ」と思っていなかった、武器は劣り、兵数は足らず、理として勝てる戦さでなかったのだ。それが勝った。山陽の「兵の勝敗は器にあらず、人に存す:という語を実際に証拠立てた戦争であった。「人」が勝ったのだ。魂のみがこうさせた戦争だったといってよかった。

世界の人は、恐らく何人も、日本の勝利を信ずるものはなかった。『車輪に止まるハエの如き』とすら言った。その比喩がアベコベになったので世界の人はひっくり返って驚いた。

カイザルさえ、欧州大戦前には、しきりに日本人魂を研究させたくらいだ。

日清戦争ですら、彼には機関銃があった。撃たれてみて初めて音を聞いたのだ。それほどであった。しかし機関銃の前にも平然としていた。そして疾風の勢いを以て敵を追いまくった。彼は枯葉のごとくテンデバラバラになった。以来、支那兵というと逃げる兵隊の標本のように言われたものだ。

西南役は、まったく肉体の戦争と言ってよかったが、旅順のごときは、肉を以てコンクリートにぶつかって行ったのだ。しかしその堅塁に向かっても日本魂は一大爆薬となって見事にこれを破った。

「人間の造ったものを人間が破れないという道理はない」

という魂がそうさせたのだ。トーチカに突入する勇姿を見てもそうだ。神業としか思えないことを立派に成し遂げているのだ。

***

「自分は死んでも、自分の死骸を乗り越えて進む者が続いている」

この信念がある。自分一代で成し遂げられなくても、次の時代、また次の時代が完成すると信じている。

「戦場の人には、自分でやれなくても、続く者がある」と思っている。
死は恐れない。死以上のものがある。
それは「いかにしても敵に勝たねばならぬ」ということだ。

突撃する。斃れる。
次。次々、と戦友の屍を乗り越えていく。
一人斃れ、二人斃れ、
三人、五人斃れても、
一人でも取り付く。
その一人が二人となり、五人となり十人百人となって突撃する。

西南役に、日清役に、また日露役に戦った人たちのその魂が、シベリア事変にも、満州事変にも、今の支那事変にも働いているのだ。今日の人の力のみではない。何十年、何百年と培ってきた力が今日の大きな力となっているのだ。

戦場の人も、必ず必ず先人の偉績を偲び、祖先の血の歴史振り返りながら戦っているだろう。そこに底知れぬ勇気が湧き、己の背後より幾千万とも知れぬ人の力強い「あるもの」が続いてくることを感じているだろう。

日露戦争当時、世界の軍事評論家は「この戦役において日本軍の威力は最大限に発揮された。しかしこれがおそらく絶頂であろう。今後再びかような日本軍を見ることはなかろう」といった論に一致した。
それがどうであろう。
満州事変におおいにその威力を発揮し(当時、有力な某大将が、日露戦争より強いようだと言ったことがある)、今回の事変においてさらに大威力をふるった。

「日本軍の将士は何ものか目に見えぬ力で支配されている。それは不思議な力だ。これではどこまで強いのか見当がつかなくなる」と評した者もある。
「目に見えぬ不思議なるもの」
それはここに言うまでもない。

***

「命を惜しまない。死を軽んずる」だけでは日本人の何たるかが現れてこない。
「人間は生まれ変わるものだ」といったような支那兵あたりにある迷信がそうさせるのではない。
「自分の命は、天皇陛下に捧げてある。陛下の御為に一心忠節を致すのだ」という、日本人のみが持つこの観念によってこそ、戦場に死して悔いるところがないのである。念念、天陛下の御為、ということを忘れたことはない。それであればこそ、笑って死地に臨むことができるのである。

死は羽毛よりも軽い。
ただ志は君国にのみ存す、これである。

今日戦場に立つ軍旗の多くは、西南役以来風雪にさらされ、硝煙を浴びている。色は褪せ、破れている。そこに勇士の血の跡があり魂が宿っている。

日本軍人は、軍旗の立つところに天皇陛下が存します、と信じている。軍旗の下に戦うことは、陛下の御馬前に在ると同じ思いでいる。戦場の人は天皇陛下を中心にして、そこに戦い、かつ斃れることを以て、無上の名誉としている。

軍旗に対する尊い観念は、それがただちに日本軍が絶大絶上の軍隊世界比類なき軍隊なり、ということができる。

***

戦争は、銃後の人の力に待つべきものがすこぶる大となった。近代戦はことに然りである。第一線も第二線もなくなっているのである。
日清役より引き続き今日に至るまで、わが国民は完全に銃後の務めを尽くしている。 日露戦争当時の思い出から考えても、全国民が一心結束して難関に当たった。異心を抱くものは一人もなかった。

戦争はむしろ第二線に重点を置かねばならない時代が来ている。銃後の固き護りあれば、国家総動員も長期作戦もすべて解決されるのである。

今や皇軍は、必死の奮戦を続けている。永遠の太陽は昇り始めんとしている。
しかし、四囲の形勢を察する時、われわれは一寸の懈怠をも許されない。われ一歩退けば彼は十歩も進み、十歩退けば三十歩を進むであろう。最も緊張を要する時だ。

この時、この際、過去戦役における先輩の偉勲を偲んで、われわれの覚悟を新たにすることはおおいなる意義がある。地下の人も必ず、われわれの眼前に微笑んでいるだろう。

アゝ34年、日露戦争からでもすでに34年、しかし思えばまだ昨日の如き感がある。

第4号 昭和13年3月9日

目次

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